社会生活 人と人とは
社会生活を
していく中で
どうしても切り離せない
人との関わり
人に気を使い
自分を殺して
どうしたら
効率よく
職場が楽しく
回るか
そんなところばかりに
気というエネルギーを注いでいる気がする
本来であれば
対象に対して
どれだけいいものを
提供するか
だと思うが
そうも簡単にいかない
そんな職場
どうしてこんな職場に
なったんだろう
一人一人が
自分のされてきて
嫌だったことを
後輩にしなければいいだけの話
なのに
そんな簡単なことなのに
どうして
同じ歴史を
繰り返すのだろう
歴史は繰り返すというが
繰り返すかどうかは
自分たちで変えていけば
いいだけのことなのに
なんでそれができないのだろう
僕はすごく不思議に思う
世の中は
どんどん更生していくべきだと
時代の変化とともに
そして自分のあり方も
変えていかなければならない
そこが変われなくなった時が
自分の成長が終わった時なんだと思う
どんどん変えよう
より良い方向に
そうしたら
自分が生きた短い人生が
少しでも何かしたという
証になると思う
タバコの値上がり 昔はスリーコインだったな
タバコがどんどん値上がりしていく
これも世の中的な流れなのかもしれない
喫煙所はどんどん少なくなり
吸えるお店も激減した
価値観的なのか
匂いの問題なのか
iQOSなどの電子タバコは
OKで
紙巻きたばこは
NG
の店もある
確かに
吸わない人からすれば
臭い
吸う人からしても
臭いのだから
吸わない人は余計その匂いは不快であろう
タバコの匂いを
誤魔化すために香水なんて
振りかけた日には
笑
ところで
タバコを売り出した当時の値段は
どうだったのだろう
調べると
セブンスター100円
と今は5倍以上の値段になっている
実際のところの
タバコにかかっている税金というのは
約61%
半分以上は税金となっている
無観客となってしまい
日本の損失は多大なものだったであろう
現在
今後僕らから取られる税金は
どのように変化していくのだろう
タバコはできるだけ早期にやめていこう
と思うが
ストレス社会
何で発散していくべきか
登山初陣 昇仙峡
登山初陣
1000m級の山
昇仙峡へ
完全に体力の衰えを感じた
急勾配を言い訳にするわけではないが
他の人と比較すると
明らかに
足取りが重い
登山中
こんなの仕事してた方が楽だ
とか思ってしまったり
帰ろうと思ったことが何度もあった
まだ空が見えぬ
森の中を
登り続けている時は
まるで
明るみに出ない努力を続けているようだった
でも考えてみると
人生なんてそんな時しかない
明るみに出て
世に出て
評価されることなんて
最後の最後にしかない
時折差し込む日差しは
自然界からのフォローのように思えた
同行したメンバーの励ましもまた
僕の足を動かした
登り切った時
今までのきつい思いなど忘れていた
自然が織りなす景色と
その偉大さ
全てが小さいことに思えた
”人生の答えは大体登山が教えてくれる”
それが今日の登山での答えだ
時々大きなものを見たくなる時はありませんか?
日常の中で
パソコン
テレビなど
いくら大きいと言っても
その画面サイズに限りがあって
そんなものを見てる間に
1日が終わっていることがよくある
自分の中では
映画やアニメドラマを見て
何かを思ったり
考えたり
しているのだが
ふと
人が作ったもの意外で
すごく大きなものが見たくなる時がある
そんな時
海を見にいくことがある
こんだけ水があれば
人や生物は水に困ることはないだろう
と感心する時があるが
自然の偉大さは
本当に計り知れない
人は自然に勝てない
よく聞く言葉だが
人が先にきている時点で
少し違う気がする
自然に人は勝てない
の方が
言い回し的に圧倒的感が出るんじゃないかと
思う時がある
太陽が海に沈むときが一番好きだ
山から見える朝日も好きだけど
夕日のコントラストは
日によって
季節によって
違った色合いを見せる
少しずつ肌寒くなり
空気が澄んでくるこの時期
あの日の夕焼けは綺麗だった
高校少年院寮生活時代 ここは日本ですか?食事にカタツムリ
またまた
高校時代の少年院寮生活の話
この寮ではとにかく食事が不衛生かつ不味かった
寮母さんという食事を作ってくれている人がいる
寮生は寮母さんが作ってくれた食事を
寮生徒100人分を皿に盛り付けていく作業をするため
自然と寮母さんと仲良くなる
寮母さんたちにも
年頃の子供がいるのだが
いつも悪態をつく僕たちに共感してくれたのか
「私ならこんな食事を子供に出さない」
というどこぞのハンバーガー屋さんの社長が
言ったか言わなかったような名言を残し
「ですよね」という同僚たちを他所目に
僕は心の中で大人の社会の怖さを感じていた
いい料理食べたいと思いつつ
経費の関係で作れないこともあるので
何も言えないが
そんな中で
寮生活において
珍事は度々起こる
夕ご飯を同僚と食べているときのこと
同僚が急に叫んだ
「待て待て待て待て」
なんだなんだとそちらを見ると
コールスローのような
サラダの上に
生きた
カタツムリがいるのだった
高校生ながら
フランスではエスカルゴという
カタツムリを食べる習慣があると知っていたが
この少年院のような寮で
そんなおしゃれなエスカルゴなんて出るわけもなく
6月と7月の間の時期
湿気と熱気で覆われた日本の夏に
〜湿気と熱気とともに〜
という料理が完成したのだった
高校少年院寮生活時代 少年院のような日々の話
高校時代
僕は他県の高校に通ったため
男子寮という
地獄の監獄に足を踏み入れた
世に出ている
イケメンパラダイスなどの
男子高校生の寮生活は
すごく華やかだが
僕の高校の寮生活は
今では考えられないことだらけだった
まずは
6時に起床とともに
軍隊のように点呼をしそこから掃除が始まる
朝学校に行く前に掃除をするなんて行為
今考えるとなんてことをしていたのだろうと
ゾッとする
学校生活は何ら変わらないのだが
寮の門限という
悪魔の規則が存在する
高校生なのに17時には寮に入っておかなければならないのだ
もちろんバイトなんてできない
20時までにお風呂、食事を済ませなければならない
食事はとても食べれたものじゃない
唯一のご馳走が唐揚げなのだ
そして20時から部屋に入り
宅習「たくしゅう」の時間という
変換機能でも出てこない文字の時間が始まる
実際には勉強なんてせずに
携帯でメールしたり、音楽を聴いているだけなのだが
そんな時間高校生なのだから
誰かと話したくなる
実際に壁の向こうには友達がいるのだから
集まらないわけがない
しかしこの宅習の時間に
他の人の部屋で遊んでいるのがバレると
罰則として
1ヶ月の間レポート用紙に
「他室訪問禁止」という文字を1000回書いて
僚官さんに提出しなければならないという罰則が
与えられる
そのほかにも
学校に行く際
寮の部屋が汚いと
「整理整頓」
を1000回
1ヶ月間角という罰則など
おかげで
右手の中指には
罰則によりできた
勉強だこが今でも存在している
こんな理不尽な高校時代を
生き抜いたからこそ
社会に出てからの理不尽にも
そこまでメンタルが持っていかれない
鋼のメンタルが出来上がったのだと
思う今日この頃なのだ
またの機会に
理不尽高校生活の全貌を
少しずつ綴っていこうと思う
コロナの時代 悪いことばかりではない
コロナの時代になって
日々ニュースでは
感染者が何人だとか
重傷者が
死者何人
はたまた
緊急事態宣言で
とか
マイナスなことばかりが
流れてくる
でも実際そうだろうか
飲み会がなくなった
人と人が触れ合う機会がなくなった
でも本当にそれが楽しいことだったのか
人は人に生かされていることは
すごく理解できるが
仕事において
人が人に潰されている場面を何度も目にする
結局は人間関係であり
人にどう思われるかを
考えながら生きている部分はないだろうか
アインシュタインが言った
常識とは18歳までに身につけた偏見だ
この言葉はすごく理解ができて
育ってきた環境が違う人同士が
同じ職場にいるというのは
違う価値観同士
違う常識の人たちが
一緒にいるのだから
隔たりは生まれるに違いない
在宅ワークにしても
その時間だけ仕事の顔をすればいい
ライブや飲み会がなくなった
のなら自分のために時間を使えばいい
人と集まる時間がないからこそ
見えてくる自分にとって大切ない人たち
人の集まるところがないからこそ
自然の大切さに触れ
自然を大切に思う気持ち
悪いことばかりではない
大きなものは変えられないけど
自分はすぐに変えられる
そう思うと
今の時代も悪くない